世界最北の首都にいる南国のモアイ-航海作家が選ぶ歴史航海-
平和志向で、平等を愛する文化が社会全体に根づいている国は数多くあれど、群を抜いているのは世界平和度指数を17年連続No.1を堅持し続けているアイスランドではないでしょうか。どんな歴史背景から、この国は生まれたのか――航海作家カナマルトモヨシさんが歩きます。
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文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。
カナマルトモヨシさん 公式ブログ
北米の面影を感じる街・レイキャビク
リスボンからパシフィック・ワールド号に乗船して以来、貼りかえられることのなかったデッキ7の海図。それが、レイキャビク寄港前に新しいものに変わった。グリーンランドそして北米大陸が入ったものに。それを見ていると、アイスランドは欧州大陸よりも北米に近いことに気づく。西隣にあるグリーンランドはデンマーク自治領だが、地理学上では北アメリカ州に分類されることもある。アイスランドは存外、ほぼ北米と言ってもいい場所にあるのだ。たどり着いたレイキャビクでは、かつて訪れた北米の街、アンカレッジ、バンクーバー、シアトルの面影をそこかしこに感じる。こうしてアイスランドの旅が始まった。
世界最古の民主議会が生まれたアイスランド
レイキャビクのランドマーク、ハットルグリムス教会。その前に北米大陸に初めて到達した欧州人にしてアイスランドのバイキング、レイフ・エリクソンの像が建つ。これはアルシング1000周年を記念して1930年に米国から寄贈されたものだ。930年、アイスランド各地のシング(民会)の代表がレイキャビク郊外のシンクヴェトリルに集結し、全島議会「アルシング」を開催。以後、毎年夏に開かれた。これは世界最古の民主議会とも言われ、ノルウェーやデンマークなど他国の統治で停止されながらも1847年にレイキャビクで復活。レイキャビク中心部にある小さな国会議事堂の名はいまも「アルシング」と呼ばれる。
ハットルグリムス教会にまつわるエトセトラ
ハットルグリムス教会の高さは74.5メートル。レイキャビクで最も高い建造物だ。1937年に建築家グジョン・サムエルソン(1887~1950年)が原案を考案。その名はアイスランド最大の宗教詩人のひとりハットルグリムル・ペトゥルソン(1614~74年)に由来する。着工は1945年。アイスランドの風景である溶岩玄武岩の円柱や山々、氷河などをイメージした建造物は完成に40年以上を要した。そしてレイフ・エリクソン像に遅れること56年、1986年にようやく完成した。あまりにユニークな形状のため、当初は市民の反発も強かったが、いまはレイキャビクの風景にすっかり溶け込んでいる。
レイフとジョンに共通する10月9日
レイキャビク港の対岸に浮かぶヴィズエイ島にイマジン・ピース・タワーが見える。毎年ジョン・レノンの誕生日である10月9日からその命日の12月8日まで天空に向けて、ここから一筋の光が放たれる。ジョンが凶弾に倒れたのはニューヨークだった。その米国にレイフ・エリクソンデーという記念日がある。毎年10月9日、北米へ最初に到達した欧州人といわれるレイフ・エリクソンを記念する日だ。アメリカに浅からぬ縁のある2人は、時空を超えて10月9日でつながっている。レイフ・エリクソン像のそばでは、パシフィック・ワールド号の乗船者男性がギターを弾きながら「イマジン」を歌っていた。
栃木県に出現した米ソ首脳会談の舞台
ハットルグリムス教会が開業する直前の1986年10月11日。レイキャビクにある一つの建物が世界の耳目を集めた。ホフディ・ハウスで米国のレーガン大統領と旧ソ連のゴルバチョフ書記長による米ソ首脳会談が行われたのだ。両者は中距離核兵器の削減に合意し、「冷戦の終わりの始まり」となった歴史的会談であった。その4年後、栃木県那須にもホフディ・ハウスが出現する。それはリゾートホテル敷地内で正確に再現され、落成式にはアイスランドの大統領も出席した。当時、日本アイスランド協会も置かれ「アイスランド平和迎賓館」と称したこの建物は、1995年のホテル関連会社の倒産により取り壊された。
東西冷戦は旧ソ連客船の上で幕を閉じた
ホフディ・ハウスでの歴史的会談から3年後。1989年12月2~3日、地中海マルタ島沖に浮かぶ旧ソ連客船マキシム・ゴーリキー上で会談したブッシュ米大統領とゴルバチョフ書記長は「冷戦の終結」を宣言した。ブッシュ大統領は記念品として、1か月前に崩壊したベルリンの壁の破片を出席者全員に渡した。この船は1969年に西ドイツ(当時)最大の客船「ハンブルグ」として就航。1973年の売船の際には日本企業が購入するとも言われたが、ソ連が買い取り、ロシアの文豪の名が冠せられた。冷戦後、再びドイツ船社がチャーター。2008年3月には最後の日本来航を果たし、翌年1月に40年の船生を終えた。
ベルリンの壁がレイキャビクにある理由
マキシム・ゴーリキー船上で、米国大統領はベルリンの壁の欠片を全参加者に手渡した。いま、ホフディ・ハウスの前に広がる芝生にもベルリンの壁の欠片がある。欠片と言っても重さ4トンもあるが。1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊。1990年10月3日、東西ドイツが統一された。冷戦終結の幕を開けたホフディ・ハウスでの米ソ首脳会談が、ドイツ再統一の道筋をつけたと言われている。そして2015年。ここにベルリンの壁の一部が設置された。ドイツ再統一25周年を記念して、ドイツのニュー・ウェスト・ベルリン美術館から寄贈されたという。その両面にはカラフルなモアイ像が描かれている。
日本とアイスランドがつながる「大きな溝」
世界最古の民主議会が生まれたシンクヴェトリル。その付近にはユーラシアプレートと北アメリカプレートの分かれ目「海嶺」が通っている。ここから生まれた大地は非常にゆっくりと東西に移動し、ユーラシアおよび北米大陸の基礎となる。そして両プレートの東西端が再び出会うのが日本のフォッサマグナなのだ。ラテン語で「大きな溝」を意味し、日本列島がアジア大陸から離れる時にできた大地の裂け目と考えられている。火山があり、地震が多く、温泉が豊富。日本とアイスランドは地図の上では遠く離れているが、共通点はとても多い。遠くて、近い国。ピースボートも年に2度、このアイスランドに船を出す。
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