人類の歩んだ大いなる旅路に魅せられて-1-
およそ700万年前にアフリカで誕生し、最後は南米大陸最南端・パタゴニアの海に浮かぶナバリーノ島にたどり着いた人類。その歩みを逆にたどり、アフリカ大陸・タンザニアを目指す”グレートジャーニー”を敢行した、関野吉晴さんに、南米・アフリカをめぐる旅の魅力を伺いました。
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関野吉晴さん(探検家、医師)
一橋大学在学中に同大探検部を創設。1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下ったことをきっかけに南米に惚れ込む。その後25年間に32回、通算10年間以上にわたり南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じ、横浜市大医学部に入学。外科医師となり病院などに勤務しながら、南米通いを続けた。1993年、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」に出発。10年の歳月をかけ、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。
関野吉晴さん 公式サイト
もはや南米は「未知の世界」ではない
私が南米に通い始めたのは、およそ50年前のことです。その頃はまだ海外、特に南米を旅するのは一苦労でしたが、当時と比べて現在は状況が大きく変化しました。ブラジルのアマゾンや、荒涼とした大地が広がるパタゴニアに対して「未知の世界」という印象を持っている方も少なくないと思いますが、本当にめったに行けない地域というのは一割にも満たないのではないでしょうか。今やアマゾンもパタゴニアも、少しの冒険心があれば車いすの方でも行くことができると思います。
そういった意味では、ピースボートクルーズは寄港地での過ごし方にバリエーションがあるので、大自然を身近に体験したい方にとってはとてもいい機会だと思います。港から近い場所で自然にふれることもできるし、思い切ってアマゾンの奥地やイグアスの滝、はたまた南極を訪れることも可能です。限られた人しか現地を訪れることのできなかった以前とは異なり、誰しもに世界とつながる可能性が開かれている——これは数十年前には叶わなかった旅のスタイルだと思います。
南米大陸の魅力は多様性にあり
南米大陸には、地球上のすべての気候が揃っています。アマゾンは世界最大の熱帯雨林ですし、標高こそヒマラヤの山系に譲るもののアンデス山脈は世界最長を誇ります。パタゴニアは世界最大の山岳氷河を抱き、ペルーやチリの海岸部には砂漠もある。南米に暮らす人びとのルーツに注目しても、先住民族から黒人、白人、アジア系の移民まで、多様な人びとが入り混じっています。「世界中を旅した中で何がおいしかったですか?」と聞かれることがあるのですが、やっぱり南米の味が一番ですね。素材で言えばビーグル水道のカニやムール貝、ウニもおいしかったですね。
料理だとペルーとベネズエラです。ペルー料理はスペインのエッセンスと現地の食文化が組み合わさり、とてもおいしい。ベネズエラ料理は、もっとスペインの風味が強くなります。海外を旅したら市場に寄ってみてほしいですね。市場を訪れるとその土地のことがよくわかりますし、「食」を通じて人と人との交流が見えてきます。こうした多様性こそ南米大陸の魅力で、それこそ一生かけて研究しても間に合わないほどです。
南米から「人類」の起源を遡りアフリカへ
足しげく南米に通う中で、「南米を深く知るためにも、一度別の地域にも足を運んでみたら?」と声を掛けられることがたびたびありました。それで、どうせ別の地域に通うなら、と始まったのが、近代動力を使わずに人類の歩みを逆にたどるグレートジャーニーなんです。世界各地に拡散した人類の旅路をたどるグレートジャーニーを着想するきっかけとなったのは、南米に暮らす先住民族の顔立ちでした。アンデスやアマゾン、パタゴニアの先住民族と暮らしてみると、彼らの顔立ちが似ていることに気づいたのです。
「彼らはどこから来たのだろうか?」という疑問が、旅の始まりにつながりました。当初、南米に暮らす先住民族の人種的なルーツは、日本人と同じくシベリアかモンゴル、アジア圏のどこかにあるのではないかと考えていました。ところが調査を重ねるうちに、そもそも「人種」という考えに科学的根拠はないことが判明したのです。こうして私の旅の目的は「人種」のルーツではなく「人種」の起源をたどることへと変わり、グレートジャーニーのゴールは人類発祥の地・アフリカに決まりました。
世界中を旅して実感した平和
船の旅は、陸上の旅とは全く異なります。陸路と違い、海に行き止まりはない。世界中が海で繋がっているので、南米の海を見ているとそのまま日本まで漕いでいけると思えるのです。しかし、世界中を旅するようになって感じたのは、昔は存在しなかった国境というものが、いかに面倒かということ。特に海。ヨットやピースボートのような客船なら手続きは簡単です。ところが私は、インドネシアで手作りしたエンジンのない、手漕ぎの木の舟で港へ入ろうとした。それだと範疇としては船ではなく「巨大漂流物」の扱いなんです。入港の際には大量の書類が必要で、この時はもう港に入れないかと思いました。
私のグレートジャーニーは、冷戦が終了し湾岸戦争が終わってから、再び中東がきな臭い状態になるまでの平和の隙間を縫って通り抜けてきた感があります。途中、アメリカでの同時多発テロとその報復のアフガン侵攻がありましたが、それらの影響を受けながらもコース変更をおこないながら、なんとか切り抜けられました。しかしもっと前、1980年代だったら、内戦中の中米や社会主義時代のソ連、モンゴルを自由に旅することなど夢のようなことだったと思います。
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