東西をつなぐ時間旅行-航海作家が選ぶ歴史航海-
クルーズでの旅に華を添える、ボスポラス海峡の壮麗な景色。海峡を臨む風景には、かつての栄華を語るモスクや宮殿が並びます。数々の歴史を刻んできたこの街を、航海作家カナマルトモヨシさんが訪ね歩きます。
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文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。
カナマルトモヨシさん 公式ブログ
アジアとヨーロッパにまたがる1600年の都
船はゆっくりとマルマラ海からボスポラス海峡に進み入る。左手にはスルタンアフメトモスク、アヤソフィアそしてトプカプ宮殿。いずれもここを500年近く都としてきたオスマン帝国(1299~1922年)の栄華を物語るモスクやスルタンの居城だ。ローマ帝国末期からビザンチン帝国まで1100年以上の都だったコンスタンティノープルは1453年、オスマン軍により陥落。以後、その首都イスタンブールとしてイスラム文化が濃厚に漂う街となった。船の左手がヨーロッパ側で、右手に見える陸地はアジア側。海峡を隔てヨーロッパとアジアにまたがる港町に、いま、パシフィック・ワールド号は錨を下ろす。
紀伊大島の沖に眠るエルトゥールル号
1890年6月7日、オスマン帝国最初の親善訪日使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が横浜に入港した。9月15日、同船はイスタンブールを目指して錨を上げる。翌日21時ごろ、台風による強風にあおられたエルトゥールル号は紀伊大島(和歌山県)の樫野埼に連なる岩礁に激突。それにより沈没、司令官以下587名の犠牲者を出した。大島の住民は生存者たちの救護に努め、69名を救出。そして事故の20日後、東京から大日本帝国海軍によってイスタンブールまで送り届けられた。いま、樫野埼灯台のそばには犠牲者の慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。横浜を出航したパシフィック・ワールド号は灯台を遠望し西へ向かう。
日本人の教えを受けたトルコ初代大統領
実業家、のちに茶道宗徧流の跡取りとなる山田寅次郎(1866~1957年)は、エルトゥールル号遭難事件に衝撃を受けた。そして2年かけて民間から『犠牲者の遺族に対する義捐金』として5000円(現在の価値で1億円相当という)の寄付を集めた。1892年、義捐金を携えて単身イスタンブール入りした彼は、オスマン国民から熱烈な歓迎を受けた。スルタンの要請でイスタンブールに留まった山田は、貿易商店「中村商店」を開き、そのかたわら士官学校で日本語や日本の文化を教えた。山田の教えを受けた生徒の中に、ムスタファ・ケマルもいたとされている。のちにオスマン帝国を滅ぼし、トルコ共和国の初代大統領に就任した人物だ。
ミステリーの女王が乗った船は今も現役
エルトゥールル号遭難事件の前日。1890年9月15日に英国で一人の女児が産声を上げた。名はアガサ・クリスティ(1890~1976年)。ミステリー作家としてデビューした彼女は1931年、イスタンブールからオリエント急行に乗る。だが、列車は悪天候により立ち往生するトラブルに巻き込まれる。この体験をもとに書かれたのが『オリエント急行の殺人』(1934年)である。その発表前年、彼女はエジプトへ旅行。道中で乗船したナイル川のクルーズ船に触発され、帰国後に『ナイルに死す』(1937年)を上梓している。なお、彼女が乗った「スーダン号」は今も現役で稼働し、予約に2年待ちの人気を誇る。
中東にもつながったオリエント急行
アガサ・クリスティが頻繁に乗車した1930年代は、オリエント急行の最盛期だった。それは毎日、パリからイスタンブールまで運行されていた。当時、イスタンブールでの終着駅・シルケジ駅の対岸のアジア側にあるハイダルパシャ駅からは、オリエント急行に接続してトリポリ(レバノン)やバグダード(イラク)まで列車が運行されていた。しかし第2次世界大戦での中断後に再開したオリエント急行は、昔日の姿を失う。航空機の時代の到来で旅客は激減し、1977年5月19日パリ発・22日イスタンブール発が最終列車となった。その終焉をアガサ・クリスティは見なかった。前年に生を全うしていたから。
バグダードへの始発駅ハイダルパシャ
ボスポラス海峡に面するハイダルパシャ駅。この壮麗でドイツの古城を連想させる駅は、1908年に開業した。そこにはベルリンからビザンティウム(イスタンブールの旧称)をへてバグダードまでの鉄道計画・3B政策における重要な駅で、スエズ運河を迂回し東方との貿易経路の確立を目指したドイツ帝国の野心があった。ドイツ帝国の崩壊後も、ヨーロッパ側の終着駅シルケジに到着するオリエント急行と連絡し、「アジアへの始発駅」の役割を果たす。しかしバグダード鉄道は、2003年のイラク戦争で不通に。ハイダルパシャはトルコ国内鉄道の始発駅となり、2013年6月19日に駅としての役割を終えた。
トルコ150年の夢・海底トンネル鉄道
ハイダルパシャ駅が鉄道駅としての機能を終えた2013年。トルコ共和国建国から90周年に当たる10月29日に海底トンネル鉄道マルマライが開業した。アジアとヨーロッパを結ぶ計画は、すでにオスマン帝国時代の1860年に設計図が描かれていた。しかしそれは実現せず、「トルコ150年の夢」のままだった。日本の大成建設とトルコのガマ重工業、ヌロール社の3社によるジョイントベンチャーで、この難工事に挑戦。地下駅として新しいシルケジ駅などを建設し、ついに開通に漕ぎつけた。こうしてフェリーで30分かかっていたボスポラス海峡の移動は4分へ短縮。ハイダルパシャ駅周辺の整備も進んでいる。
世界初の地下クルーズターミナル
横浜を出航してから1ヵ月、パシフィック・ワールド号はガラタポートに着岸する。2021年にオープンしたばかりのガラタポートは世界初の地下クルーズターミナルだ。パスポートコントロールなどのターミナル施設がすべて地下に築かれている。そのため、海岸線には建物がなく、とても開放的だ。プロムナードからは、金角湾の対岸にある旧市街やボスポラス海峡をはさんでアジア側の風景が眺められる。ターミナルそばにはオスマン帝国後期に築かれた時計塔やジャーミィ(イスラーム寺院)が建つ。古きイスタンブールと、その新しい表情もうかがえる港。アジアここに果て、ヨーロッパがこれより始まる。
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