クルーズコレクション

オセアニアをめぐる歴史ストーリー-航海作家が選ぶ歴史航海-

オセアニア
オセアニアをめぐる歴史ストーリー-航海作家が選ぶ歴史航海-

雄大な自然と緑豊かな都市景観が魅力のオセアニアは、クルーズ旅行でも人気の高いエリアです ジェームズ・クックの航海からニュージーランドの羊、明治時代の南極探検、果ては怪獣映画にいたるまで、航海作家のカナマルトモヨシ氏を水先案内人に、オセアニアにまつわる数々のストーリーをめぐる壮大な旅へと出かけます。

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文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。
カナマルトモヨシさん 公式ブログ

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伝説の南方大陸を幻にしたクック船長

1766年、英国はジェームズ・クック(1728〜79年)に金星の太陽面通過観測のため南太平洋に派遣した。しかし、それは表向きの命令だった。観測を終えたクックはもう一つの指令が入った封筒を開く。そこには富にあふれる「伝説の南方大陸」の探索命令が書かれていた。クック率いるエンデバー号は、マオリが暮らすアオテアロア(ニュージーランド)を周航し、先住民族アボリジニの大地・オーストラリア大陸東海岸に欧州人として初めて到達した。そしてクックはこの航海で「南方大陸は幻」と結論づけた。それではオセアニアをめぐる歴史航海、いざ出帆。

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ニュージーランドに初めて放牧された羊の悲劇

ニュージーランドの人口は現在500万少々。それに対して羊の数は2500万頭以上。人間の5倍もの数が暮らす「羊の国」である。しかし、いまから250年前までニュージーランドには1匹の羊もいなかった。最初の羊をこの地に放ったのはジェームズ・クックである。1773年、北島と南島の間にあるクイーンシャーロット諸島に停泊した彼は雌雄2頭の羊を放った。だが、これは羊大国のルーツとはならなかった。しかしその数日後、2頭は猛毒を持つ木の実”トゥトゥ”を食べ、あっけなく死んでしまったのだ。のちに2頭の死を教訓に、毒草を除去して羊の放牧が広がり、現在の数までに膨れ上がる。

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Ⓒ Newtown grafitti

流刑囚が建てたシドニーの名所と世界遺産

1788年に英国の流刑植民地となったオーストラリア。シドニーは流刑囚を労働力とした小さな集落に過ぎなかった。1810年、5代総督ラックラン・マッコーリーは文書偽造の罪で流刑となっていた元建築設計士のフランシス・グリーンウェイを減刑し、臨時建築技師に任命。彼は船員ジョン・カドマンの家、総督官邸と馬小屋(現・シドニー音楽院)、セント・ジェームス教会などのちのシドニーの観光スポットを完成させる。中でもハイド・パーク・バラックスは2010年に「オーストラリアの囚人遺跡群」のひとつとしてユネスコ世界文化遺産に登録された。

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Ⓒ Mizumoto Shunya

日本に初めてブーメランを伝えた囚人たち

幕末直前の1830年、徳島藩の沖合に英国船が突如出現した。藩士たちが舟で異国船に近づくと、船員たちは水と食料を求め、交換物として「く」の字の物体を藩の船に投げ入れた。だが、藩士らはこれを返却。数日後、幕府が出していた異国船打払令にのっとり発砲すると船は退却し、そのまま消えた。異国船の正体は、タスマニア島へ護送中の囚人たちが反乱を起こして奪ったキプロス号。「く」の字の物体は、アボリジニが使っていたブーメランではないかと推測されている。なお、日本に初めてブーメランをもたらしたキプロス号はその後、清国(中国)にたどり着いた。

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Ⓒ Mizumoto Shunya

シドニーに残る南極探検隊長が送った日本刀

1911年5月、204トンの木造船がシドニーに入港した。船は南極探検船「開南丸」で、乗組員は白瀬矗(のぶ・1861〜1946年)を隊長とする日本初の南極探検隊員らであった。開南丸は流氷に行く手を阻まれ、シドニーで捲土重来の機を待つことに。南極探検の経験を持つシドニー大学教授エッジワース・デイビッドは開南丸を訪れ、小さく貧弱な船で南極大陸に肉薄した航海技術に驚嘆。防寒具や食料、自身の南極探検記も白瀬隊に提供し、彼らは翌年1月に南極上陸を果たす。白瀬がお礼として教授に贈った日本刀は、シドニーのオーストラリア博物館に展示されている。

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ラグビーが取り持つ日本とニュージーランドの縁

ワールドカップ史上最多タイとなる3度の優勝を果たし、ラグビー世界最強と言われるニュージーランド代表「オールブラックス」。戦いの前に選手たちが披露する「ハカ」は先住民族マオリの伝統舞踊だ。1995年の第3回ワールドカップで、日本代表はオールブラックスと対戦。迫力あるハカに気後れしたわけではないだろうが、17対145という1試合最多失点の大会記録となる完敗を喫する。その後、この屈辱をバネに強化を続けた日本は、ニュージーランドから海を渡ったリーチ・マイケル主将のもとで自国開催の2019年ワールドカップでベスト8入りし世界を驚かせた。

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日米対決で破壊されたオペラハウス

世界三大美港のひとつシドニー。それを彩るのが1973年に完成したオペラハウスだ。が、2004年に一度破壊されている。映画ゴジラシリーズ第28作『ゴジラ FINAL WARS』で、ゴジラとハリウッド版『GODZILLA』(1998年公開)の主役「ジラ」がシドニーのオペラハウスで激突。しかしゴジラ日米対決はあっさり決着する。ゴジラの発する放射熱線を受けたジラもろともオペラハウスが完全に爆破されるという結末で。もちろんこれは銀幕のなかでの話。実在のオペラハウスは2007年にユネスコ世界文化遺産に指定される。完成年代の最も新しい世界遺産として。

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アメリカスカップ王者の強さの秘密は

1851年から続く国際ヨットレース・アメリカスカップ。名称は最初の優勝艇「アメリカ号」に由来する。その後、文字通り米国のヨットクラブが132年にわたりカップを防衛したが、現在はチーム・ニュージーランドが王座を守っている。はるか昔、マオリの祖先は木製のカヌーでポリネシアからやって来たという。そして現代、ニュージーランド国民は子どものころから船に親しみ、オークランドは「帆の街」と呼ばれるほどボート所有率が高い。強さの秘密はマオリから受け継ぐDNAにあるのかもしれない。カヌー、探検船、そして客船。オセアニアをめぐる船旅でその歩みに思いを馳せたい。

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