地球一周の距離は何キロ?地球一周から紐解く航海の歴史
七つの海を航海しながら世界各地の港を訪れる地球一周の船旅は、この星の大きさを直に感じる旅でもあります。地球一周の距離は何キロなのか?地球一周にはどんな歴史があるのか?
これまで30年以上に渡って地球一周の船旅を企画し、実際に世界各地を訪れてきたピースボートならではの視点でさまざまなギモンを紐解くとともに、航海の歴史や船乗りたちの足跡にふれられるスポットの数々をご紹介します。知っているようで意外と知らない、”地球一周”をめぐる旅へと出かけましょう。
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文・構成 / 編集部
地球一周の距離は何キロ?
地球一周の距離(外周)はおよそ4万キロメートルと、とてもキリのよい数字になっています。これは18世紀後半に長さの国際基準が定められた際、地球の周囲の長さを基にしたため。この基準がメートル法で、1メートルの長さは「赤道から北極までの距離の1000万分の1」と決められました。極点から赤道までが1万キロメートルなので、地球一周の距離を求めるにはそれを4倍すればよいのですね。なお、地球は完全な球体ではなく極方向に少しつぶれた形状をしており、地球を南北に分ける赤道と両極を結ぶ子午線では距離が異なります。正確には、赤道の長さが約4万75キロ、子午線の長さが約4万9キロとなります。
世界で初めて地球一周の距離を調べた人物はエラトステネス
史上初めて地球一周の距離を計算したのは、エラトステネスという古代ギリシャ時代の学者です。当時の学問において中心的な役割を果たしたアレクサンドリア図書館の館長でもあったエラトステネスは、エジプト南部の都市シエネ(現在のアスワン)の井戸の水面に、夏至の日の正午だけ太陽の光が届くことを知りました。ところがシエネより北にあるアレクサンドリアの井戸では、同時刻に光が射し込みません。エラトステネスは夏至の日の正午の太陽の位置(角度)と2地点の距離を計測し、地球一周の距離を計算します。彼の算出した地球の周囲はおよそ4万6,000キロメートルと、実際の距離との誤差は約15%でした。
地球一周には何日必要?
一周約4万キロをめぐるには、どれほどの日数を要するのでしょう。ピースボートの船旅ではおよそ100日で地球を一周しますが、「地球一周」、「日数」といった言葉から『八十日間世界一周』を思い浮かべる方も多いのでは。この作品は船や鉄道を駆使して世界一周に挑む冒険小説で、交通手段の発達によって”大旅行時代”が幕を開けた19世紀後半の世界一周をスリリングに描いています。なお、この小説の作者にちなんで世界一周のタイムを競うレースは「ジュール・ヴェルヌ・トロフィー」と名付けられています。現在の最短記録は40日23時間30分30秒、”八十日間世界二周”が実現する日もそう遠くないかもしれません。
世界で初めて地球一周を達成したマゼラン艦隊
世界で初めて地球一周を達成したのは、フェルディナンド・マゼランの艦隊です。1519年にスペインを旅立ったマゼラン隊が取ったのは、大西洋を横断してアメリカ大陸を越える西回り航路。マゼラン自身は1521年にフィリピンのセブ島で命を落とし、地球一周は果たせなかったものの、残された乗組員たちは航海を続け1522年にスペインへと帰還。およそ3年の歳月をかけ史上初の地球一周を達成しました。輝かしい功績の背後には、立ち寄った土地での略奪行為や現地住民への改宗の強制など侵略者としての側面もあるものの、彼の艦隊による地球一周の達成は、航海の歴史における新時代の幕開けとなりました。
マゼラン艦隊の地球一周でわかった太平洋の大きさ
この地球一周の航海によって、最後の未知の大洋であった太平洋の大きさが明らかになりました。実はマゼランは、太平洋の名付け親でもあります。地球一周の途上で南米大陸南端のマゼラン海峡を抜けて太平洋に入った際、大西洋と比べて大変穏やかであったことから「平和な海」と表現したことに由来しているといわれています。ラテン語の「Mare Pacificum(平穏な海)」を訳す時、英語では「Pacific(平穏な)」、日本語でも「穏やかな」という意味の「太平」という言葉が用いられました。 また、南米大陸の南端に位置する大西洋と太平洋をつなぐ海峡は、彼の名をとって「マゼラン海峡」と呼ばれています。
地球一周を2度達成した初めての人物とは
マゼラン隊の地球一周達成以降、西洋列強の海洋進出はますます盛んになり、今日に至るまで地球一周の達成回数や手段は多様化し続けています。 マゼラン隊の地球一周から数えることおよそ半世紀、スペインの宣教師マルティン・イグナシオ・デ・ロヨラは、史上初めて生涯で2度の地球一周を達成します。リピーターの方が多いピースボートの船旅では、何度も地球一周をすることは珍しいことではありませんが、その当時としては大きな偉業でした。さらに彼は、1度目の地球一周(1580~1584年)は西回り、2度目の地球一周(1585~1589年)は東回りと、異なる方向での地球一周を果たした最初の人物でもあります。
女性初の地球一周に要した期間は約10年!? 長期間の理由とは
女性初の地球一周を果たしたのは、フランス出身のジャンヌ・バレです。彼女は1766~1769年にかけて行われたルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルの地球一周航海に、植物学者の助手として参加しました。当時の社会では航海は女人禁制、そのため彼女は性別を偽り、男性として乗船したのでした。途中まで旅は首尾よく進んでいたものの、タヒチ寄港の際に女性であることが発覚し、その後インド洋のモーリシャスで彼女は下船することに。その後ジャンヌ・バレがフランス本国に戻ったのは、1775年頃のこと。ブーガンヴィルの船隊から6年遅れはしましたが、初の地球一周を果たした女性となりました。
地球一周の多様化と高速化
飛行船や飛行機が発明されて以降は、それまでは海路でしか成し得なかった地球一周が多様化していきます。1924年には米陸軍の航空隊が地球一周飛行を達成、その9年後の1933年には、米国の飛行家ウィリー・ポストが単独での地球一周飛行に成功しました。この時に要した時間はわずかに7日と19時間、船と比べて飛躍的に短い時間での地球一周が可能となりました。また、空路の発達によって大陸間の移動が容易になったことから、今日では徒歩や自転車での地球一周挑戦も数多く行われています。
地球一周の船旅でたどる大航海時代の足跡
新しい世界を求めて大海へと漕ぎ出した船乗りたちと同じ航路をたどる地球一周の船旅は、私たちの冒険心を大いに刺激します。中でも、インド洋と大西洋が出会う「喜望峰」は、大航海時代の幕開けを象徴するスポット。1488年にポルトガル人のバルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達した際、周辺があまりにも荒れる海域だったことから、ここを「嵐の岬」と命名しました。しかし、貿易で得られる成果の大きさから後に「希望の岬」と改名され、その名が定着するようになりました。ケープポイントの展望台「ルックアウトポイント」は、インド洋と大西洋をつなぐケープ半島の最南端が一望できる人気の絶景スポットです。
ピースボートの地球一周で歴史家が見た景色に出会う
地球一周の船旅ではマゼランゆかりの地に寄港することも。マゼラン海峡に面するチリのプンタアレナスには、マゼラン像が建てられています。大砲に足をかけ天を仰ぐマゼランの足元には先住民族の像が。これは征服者と被征服者の姿をそのまま表しています。 フィリピンのセブ島には、マゼランがキリスト教布教のために建てた「マゼランクロス」があります。この十字架には霊験が宿っており、砕いて飲むと万病に効くとして一部を持ち帰る人が続出したのだとか。十字架は既に紛失または破壊されていて、レプリカが残るのみ。美しい天井画とともに、地球一周を達成したマゼラン艦隊の旅を今に伝えています。
地球一周4万キロは先人たちの航海の歴史
ドミニカ共和国は、アメリカ大陸に到達したクリストファー・コロンブスが新世界で最初に足を踏み入れた地。首都のサントドミンゴには、ラテンアメリカ最古の植民都市の姿が今も面影を残します。教会や行政機関が建つ中央広場から碁盤目状に道が配された街並みは、その後の植民地における都市計画のモデルとなりました。また、市内にはコロンブスの新大陸上陸500周年を記念して建設された灯台があり、コロンブスの遺骨が安置されています。 地球一周、4万キロをめぐる船旅は、人類の航海の歴史と地球の大きさを物語る風景との出会いの連続——先人たちの遥かな旅路に思いを馳せる時間でもありました。
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