乗船者インタビュー

自分も何かを生み出せる。それがすごく楽しかったです。

北川航次さん(兵庫県 / 30歳)

和太鼓をとおして自分を表現

船では日々いろんなことをしていますが、特に思い出に残っているイベントは「芸達者祭」です。僕は乗船地の神戸で生まれ育ちました。普段から和太鼓の活動をしていることもあり、船で出会った仲間と2人でユニットを組んで練習を重ねてパフォーマンスを披露しました。周囲から「とてもすごかったよ!」と言ってもらえてうれしかったですね。あとは今回、中国の無形文化財でもある安塞腰鼓(あんさいようこ)パフォーマンスチームの方たちが乗船されていたので、特別に練習に参加させていただいたり、最後に即興で一緒にパフォーマンスをして交流できたこともすごく楽しかったです。

周りの反応が、自分の自信になる

運動会では総合司会を担当しました。もともと小学校の教員だったので人前で話す機会は多かったけれど、司会経験はありませんでした。でも僕は「声がいい」と言っていただくことが多いので、それをうまく生かせたらと思い、打ち合わせの時から「司会をやりたい」というのを全面に出しました。運動会のあとには、みんなからすごく良い反応をもらえて、そういう言葉がどんどん僕の自信にもつながっていくし、次のチャレンジを考えるきっかけになると感じましたね。それ以降の企画のときも、「司会は航次でいいよね」と言ってもらえたり、周囲からも信頼されてるんだなと感じてすごく嬉しいです。

すべての人が楽しめる方法を模索

船内でのイベントは4言語での対応です。運動会での実況では、「各言語担当」がそれぞれ喋るんです。場面や状況がころころ変わるので、いろんな言語が飛び交うし、乱れ打ちのような感じが面白かったです。僕が一人で喋ってもダメだし、どこかの言語に偏らないようにバランスを取りながら、「ここで入れる!」みたいな阿吽の呼吸でやりました。とにかく全員が楽しめるということに、すごくこだわりました。言語や国籍に関係なく、すべての人に伝わり、楽しんだり喜んだりできるような伝え方がしたいなと。だから言葉だけでなくて映像も使って表現したり、そういうのは事前の打ち合わせですごく考えましたね。

この船では「生み出す楽しみ」を味わえる

僕自身は、「楽しませる側」にいるのが好きなんです。受け身でいると提供者側に左右されますが、自分が運営する側にまわれば絶対楽しいだろうな、と。この船ではそれができました。教員をしていると、先生としてのアイディアは出すけれど、最終的に決めるのは子どもたちなので任せることが多いんですよね。自分で行事やイベントを作る経験はこれまであまりなかったのですが、この船では乗っている人も「生み出す側」にまわれるというのをすごく楽しみにしていましたね。残りの日々の中でも、自分らしく楽しんでいきたいと思います。

映像の世界と現実がリンクした瞬間

一番印象に残った場所は、ナミビアで見た砂漠です。あんな砂漠、日本にないじゃないですか。アニメやゲーム、ドラマの世界で見てきた砂漠のシーン、それがそのまんま目の前にあるんです。「あぁこれか」と。あの時の主人公たちは、こんな感覚で砂漠を歩いてたんだなとか。砂が結構細かいなとか、自分が今まで映像で見てきたシーンとリンクしましたね。だから砂漠に降り立った瞬間に、頭の中に昔やったゲームのBGMが流れてきて、「うぁ、すごい!今ここに立っている!」という感動はありましたね。

ここまでの道のりに思いを馳せて

昔アパルトヘイトがあった、南アフリカのランガ地区のタウンシップ(元黒人居住区)を訪問したことも心に残っています。昔はすごく悲惨なことがあったけれど、今は人びとが明るく暮らしていて、この60年間の過程でその人たちが努力や希望を持って行動して、社会を変えていこうという活動を続けてきたからこそ、今があるんだなと感じました。そう思うと涙が出てきました。本当にすごいと思ったけれど、「すごいな」というひと言では言えないですよね。そこに暮らす人たちが、どんな行動を起こしてここまで辿り着いたんだろうって、その背景を考えて想像するだけで勇気をもらえましたね。

自分だけの学びで終わらせない

一度退職してから乗船したので、来年4月からは大学院に行き、平和教育やSDGsのカリキュラムを作ったりしたいなと考えています。この船旅をとおして実際に学んだことを実践してまた学んで、自分自身の厚みを増していきたいですね。知識だけじゃなくて、実際にその場に行って心が動いたようなことも踏まえて、次の世代に伝えていくというか。だから残りの旅の中でも、いろんな人の話を聞きたいですし、船を降りたあとでも自分の糧になるようなことをやっていきたいなと思います。そういった自分の学びが終わったら、また先生に戻ろうかなと今は考えています。

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